太陽 ENGINET | 七福神蓄財倶楽部 月

私が見た、夢でもなく現実でもない世界

第18話 弁財天


作者 目次


弁財天

私は目が覚めると冷たい手術台の上に横たわっていた。
これが夢なのか現実なのかを理解できぬままに私は頭に電極のようなものを刺され手術台の上に横たわっている。
目の前には、医師らしい格好をした男とその助手らしき女が立っていた。
私は身体を起こそうとしたが、手足の自由がまるで効かない。
力を入れようとするが、力が入らない。
何か錘のようなものが私の身体に載せられてるかのような重さを感じた。
ただ微かに動くのは両目の瞼だけだった。
すると突然医師らしき男が言葉を発した。
「 やっと目が覚めたかね!
よかった!どうやら手術は成功したみたいだな!」
私はその男が言っている意味がまるで理解できず不安げな表情を浮かべると
「 まぁ、君が手術の事は全く何一つ覚えてないだろう!無理も無い。
私達の行なった手術は君の記憶を取り除く手術だからな!
君の嫌な記憶を全て取り除いておいたよ!」
医師らしき男はそう言うと薄ら笑いを浮かべだ。
「 いいかい、君は過去の様々な悲惨な出来事がトラウマになり、君の精神は崩壊寸前になった!
三か月前に先生助けてくださいと私の病院に駆け込んできたんだよ, 君は全く覚えてないだろうがな!
そこで私が以前から研究してた人間の脳の中の嫌な記憶だけを取り除く手術を、君がどうしてもやってくれと懇願するから、まだ実験段階だった私の考え出した記憶除去手術を施したんだよ!
まぁ、実験段階とはいえマウスでは8割の確率で成功していたがね!」
医師はそう私に告げると声高らかに笑っていた。

麻酔が覚めて、ようやく病室に戻ると、私は過去のいやな記憶を思い出そうと様々な試みをしてみた。
しかし、いやなことはいくら思い出そうとしても何も思い浮かばないのであった。
なんというすばらしい手術だ。
私は気分爽快となり、病室のベッドの上で自分の好きな音楽を聴いてみた。
しかし、不思議なことに特に何も感じないのであった。
おかしいな、前はもっと楽しく聞けたのに。
私は次に、TVをつけて、好みのお笑い番組やらドラマやらを見てみた。
これも同じで、特に感興を催すようなことも無かったのである。
むしろ退屈であった。
何か奇妙だな。
自分の心が変わったのかな。
いやな記憶は無い、しかしそのことによって自分の心が大きく変わったという実感も特になかった。
散歩は許されていたので、私は、やや不審な思いを抱きながらも、病室を出てみた。

外へ出ると、そこにはまぶしい草原が広がり、空は快晴であった。
素晴らしい青空だ。
自然に対する感興の思いはちゃんとあるようだ。
しばらく歩くと、美しい湖の近くで、一人の女性が琵琶のような楽器を弾きながら歌をうたっている光景に出合った。
典雅としか言いようのない琵琶の旋律。
雅なる旋律にのせて歌われるそのたおやかなる歌声は、大地を潤す慈雨のように私の心に沁みた。
神おらびに叫ぶその高唱は、龍のように天空を幾重にも駆け巡っては消えていった。
私は我を忘れて聞き入ってしまった。
この驚くべき歌唱に比べれば、さっき聞いていた音楽などまるで単なる騒音のように思えた。
その女性は私の存在に気が付いたのか、ふと琵琶を止めるとこちらを振り向いた。
なんとも神々しい顔立ちの女性であった。
「アラ、聞いていらしたの。ごめんあそばせ。」
「すばらしい歌声ですね。こんなの生まれて初めてです。」
私は思わずそう叫んだ。
「ほんの戯れに歌っていましたの。あなたはどちらから?」
「ぼくはさっきあの病院で、過去のいやな記憶を取り除く手術を受けてきたばかりなんです。」
「アラアラ、それはもったないことをないさいました。」
「過去のいやな記憶がもったいないんですか?」
「どんな存在にも無駄なものはありません。過去の記憶だって同じですわ。」
「そうだったのかも知れませんね。あの手術を受けてから、今まで好きだった音楽やTV番組に感興を催さなくなってしまったのです。なぜなんでしょう?」
「それは、単純な理由ですわ。
あなたはいやな経験をしたあと、そのことを忘れさせてくれるような音楽を聴きました。
再びその音楽を聴いたとき、あなたは無意識のうちに過去のいやな記憶を思い出し、それを音楽が忘れさせてくれることを楽しんでいたのです。
これを繰り返すうち、あなたはその音楽が好きになりました。
音楽が忘れさせてくれるいやな記憶が無くなった今、その音楽を聴いても何も感じなくなったのです。」
「それは、わかりやすい。」
「人間世界の娯楽はみな、そのような原理なのです。
人々は日々の人生のストレスを忘れるべく、日々娯楽にふけっています。
本当は楽しいのではなく、毎日苦しみの記憶を思い出してはそれに浸っているのです。」
「それでは、ぼくはつまらぬ娯楽にふけることから解放されたということになります。」
「あなたは、あなた自身を繰り返します。
人生を決定しているのは、過去の記憶ではなく、カルマ、すなわち過去の行いなんですから。
あなたは、あなたがいやだと思って取り除いた記憶と同じ経験を再び繰り返すことでしょう。
過去のいやな記憶は、それを経験する以前に行った行いが原因となって生まれました。
それは、この世に生まれるはるか以前のことかもしれません、その結果が過去のいやな経験となったのです。
自己のカルマを理解していくために、過去のいやな記憶はとても貴重なのですわ。」
私は、この女性の言うことが真実のような気がしてひどく不安になって、尋ねてみた。
「カルマとはいったい何なのですか?」
「ボーリングのボールに喩えるとわかりやすいかしら。
ストライクになるならないは別にして、ボーリングのボールはピンを目指して転がされます。
ピンとは誰もが求める幸福というものに譬えてもいいかも知れませんわね。
ボーリングのボールがピンを目指して転がっていくのは、ボール自体に記憶があったり、ボールがなにかを判断することが理由ではありませんよね?
ボールには記憶も判断も意思もありません。
ピンを目指して転がされたことが、すべての原因なのです。
何かを目指して転がされたボール、これがカルマの譬えです。
ボールを転がす人がピンを目標に定めること、これが選択です。
選択を大きく誤れば、ボールはピンに当たらず溝に入ります。
ボールが転がされた瞬間、これを人がこの世に生まれる時に喩えることができます。
転がされたボールが動いた痕跡、これを人生の経験、あなたの言う過去の記憶に喩えることができます。
それ故に人の人生は特定の方向を向いているのです。
これを人々は運命とも呼んでおります。」
「ボールを転がす人とは何なのでしょう?」
「かつてのカルマ、過去のカルマです。
カルマが結果を出すと、そこから再び選択が起こり、それが新たなカルマとなって、再びボールは転がされます。
この繰り返しに始まりはありません。」
「なぜ再び選択が起こるんです?」
「選択とは、何かを願い求め、それを取ろうとすること。
人生という苦しみを経験して、必ずや人は再び何かを願い求めるのです。
あなたが過去の記憶を取り除きたいと願ったように。」
「カルマは人間にとってまるで制御不能のように聞こえます。
カルマはどうにもならないのでしょうか。」
「いいえ。
ボーリングのレーンは平坦ですけど、人生はそうではありませんよね。
様々な障害物に出合い、その都度転がるボールの方向に変化が生まれようとします。
これを縁と申します。
人生における出会いのことですわ。
知恵のある人は、この縁を巧に利用してカルマの方向をより良い方向へ変えていくのです。
知恵のない普通の人は、自己を変えてしまうような縁を恐れ、自分自身をくり返していくという選択を必死になってするのです。
縁もまた、遠い過去のカルマの結果なのです。
縁の中でも仏法僧との縁、仏縁は最高ですわ。
これによってカルマの方向を幸福へと自在に変えることも、カルマそのものもを消して安らぎを知ることさえ可能なのですから。
仏縁に出合ったら、それだけはしがみついて離さないことをおすすめしますわ。」
「個人の人生はそれで説明できるかもしれんけど、宇宙全体はどうなんです?」
「宇宙全体もカルマによって無限に輪廻するのです。
始まりも終わりもありません。
宇宙全体のカルマは無数の個のカルマの集合体、これを共業(ぐうごう)と申します。
それゆえ、共業を理解すれば無始無終の宇宙のからくりが理解できます。
それは無明というからくりによって織りなされる幻影なのです。
あなた、私の話を聞いていて苦痛でありませんこと?」
「そんなことありません。とても興味深いです。」
「それでは、あなたに仏様から授かった最高の仏縁を一つご紹介しますわ。
"もろもろの悪をなさず、もろもろの善をなし、自らの心をきよらかにしていくこと。"
これがすべて、これがすべての中のすべてなんです。
これがもろもろの仏陀たちの教えです。
善悪というものを教えられた観念で理解する人はこの教えの真髄を知ることはできません。
観念は捨てるべきです。
あなたが知っていること、教えられたことすべてが嘘であることを見破ってください。
悪業は心のゆがみから発生します。
過去の記憶は他人と見なし、現在の心を観察します。
心を底まで掘り下げて観察し、そこにあるゆがみを吐き捨てていきます。
そして善業の光によって心の底を照らしていきます。
これを呼吸にあわせて一呼吸ごとにくり返していくのです。
この実践は蜜の味がいたします。
実践をする人だけがこの教えの真実を知るのです。」
「良い教えですね。あなたは誰なのでしょう?」
「我が名は弁財天。
我が教えを実践する人に、尽きることの無い知と財と才能と技芸の能力を与えることが出来ます。」
そう言うと、いずこともなく集まってきた紫雲がその女性を取り巻き、やがてその女性は雲の中に消えていったのであった。

了 2018/09/24




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