太陽 ENGINET | 七福神蓄財倶楽部 月

私が見た、夢でもなく現実でもない世界

第17話 ホモ・サピエンスをぶっ飛ばせ


作者 目次


ホモ・サピエンスをぶっ飛ばせ

その幻夢は私が何やら人に追われて逃げてているところから始まった。
幾人もの男達に追われながら私は必死に逃げている。
路地から路地へ逃げて、とうとう行き止まりになった。
後ろから威勢のいい声がした!
「 こら!待てもう逃げれないぞ!いいかげんに観念しろ!」
私は自分の背丈の三倍はあろう、目の前にそびえ立つ壁に向かってジャンプした。
すると不思議なことに私は難なくその壁を乗り越えてしまった。
壁を乗り越えてみると、其処は古い作りの民家の庭であった。
私は丁度民家の縁側に着地した。
不思議な事にその民家の庭に着地すると、さっきまで聞こえていた私を追ってくる男達の威勢のいい声が完全に消えていた。
辺りは静かだった。
私は恐る恐るその古い民家の中を覗いてみた。
中には一人の老人がテレビを見ていた。
老人は私の存在に全く気が付かづに、テレビのニュースらしき番組に釘付けになっていた。
すると次の瞬間そのニュースに
殺人事件の容疑者が逃亡中というニュースが流れた。
画面いっぱいに写し出された容疑者の顔は自分の顔であった。
其処ではじめて私は自分が逃げている理由が理解できた。
どうやら私はある男を殺して逃げているらしい!
私はハッとし、思わず膝をつき縁側に頭をぶつけてしまい、
老人は後ろを振り向き、私と目と目が合った。
老人は私と目が合うと、少し驚いたような表情をした。
私は、老人が騒ぎ出すことを恐れて、咄嗟に次のように言った。
「ぼくは、他人を殺してはいません。
ぼくが殺したのはぼく自身の影なんです。」
すると老人は答えた。
「ほう、そうかね。
しかし、わしが驚いたのはそのことではない。
お前さんが、どうやって後ろの高い塀を越えたのかということなんだ。」
「どうやって越えたのかは、ぼくにもわかりません。
刑事たちに追われ、あの塀を越えたいと思いジャンプし、気が付いたら塀を越えていたのです。」
と、私は答えた。
「まあ、こちらにお入りなさい。」
老人はそういって私を室内に招いたので、私は言われるがままに、履物を脱いで縁側から室内に上がった。
老人は座布団をすすめてくれたので、私はそこに座ると、老人は語りだした。
「お前さんは頭のねじがどこかはずれているのかも知れん。
コモンセンス(常識)のある者は塀を越えることは出来ない。
しかし、コモンセンスを捨てた者は塀を越えることも可能なのだ。
お前さんは、進化論を信じるかね。自分がサルから進化したと思うかね?」
「思ったことないです。」
「そうじゃろう。
しかし、お前さんの肉体はなぜそうなっているのか、動物から進化したとでも考えない限り説明がつかん。
肉体は物質が発展して形成された。肉体にはいろいろな物理的制約があり、生物的限界がある。
そのように学習し、理解することによって肉体のコモンセンスが出来上がるのじゃ。
肉体を自分と見なさない者は、肉体のコモンセンスを捨てていくことが出来る。
同じように心を自分と見なさない者は、心のコモンセンスを捨てていくことが出来る。
それが神通の世界なのだ。
肉体は自分ではない。
心は自分ではない。
このように日々観察し、自己を掘り下げていく者が最高の自由を得ていくのじゃ。」
「お前さんは愚公移山の話を知っとるかの?」
「知らんです。」
「昔、中国の山西省の山の麓に愚公という九十歳になる老人がいた。
家の北には険しい山岳があり、南には太行と王屋の二つの山があった。
愚公は二つ山があるために人々が山の向こう側に行くために難儀をしているのを見て、それらの山を崩して移動させようと決意をした。
愚公は、山の土や石を切り崩してもっこで運び海に捨てる事業を始めようと家族を説得した。
家族はその計画に賛同し、毎日山の石を運んで海に捨て始めた。隣家の少年もこれに賛同して加わった。
黄河のほとりに住む賢い老人がこれを見て、愚公をあざけった。
君はなんという愚か者だ。老い先短い君がそんなことをしても小さな丘さえ崩すことは出来ないんだよ。
愚公は答えた。

君の頭の固さは救いようがない。隣家の幼い少年にも劣る。
私が死んでも私の子がこの作業を続ける。
私の子は子孫を作り、子孫もこの作業を続ける。
その子孫もまた子孫を作り、この作業を続ける。
こうしてこの作業は子々孫々尽きること無く続けられるのだ。
それに対して山の量は有限である。だから必ず山は崩される時がやってくる。

これを山の神が聞いていた。
山の神は愚公のことを天帝に報告した。
天帝は愚公の考えに感心し、二柱の神に太行と王屋の二つの山を背負って他の場所に移動するように命じた。
こうして太行と王屋の山は愚公が生きているうちに移動してしまったのである。

愚公移山の話はとても興味深い真実を含んでいる。
山は有限であるが、子孫は尽きることがない。
これは、目標が明確であれば、努力を続けることにより必ずそこに到達する時が来るという原理を表す。
多くの人が希望する人生がかなわないと感じるのは、自分の願望が漠然としているか、あるいは努力を途中であきらめるからなんだ。
漠然とした願望は永遠に成就しない。
途中であきらめる者は何も成就出来ない。
願望は有限、努力は無限ならばどんな願望も成就する。
この信念に心を据えるならば、神が介入して一瞬で物事が成就する。
これは、信念を持って実践し続ければ、人間のコモンセンスを超えた原理が介入することを表す。
確固としたた思想や価値観をも持たない者は、コモンセンスを超える信念を持つことができない。

愚公の主張は日本人には理解しにくい部分があるかもしれない。
子々孫々いつまでも石運びが続き、山が崩れるのはいつになるかわからない。
子孫が奴隷みたいに愚公の主張に従い続けるという確証もないのだ。
しかし、愚行の主張の裏側にはあるすぐれた信念があった。
それは、人間が生き、子孫を作り続けるのは世の人々を助けるためなのだという信念である。
この信念に対して神が心を動かしたのだ。
これが思想というものに内在する力なのだ。
思想が信念を生み出し、信念が人間のコモンセンスを超えた力を呼び出す。
思想とは人間のコモンセンスを超えるための道具なのだよ。
毛沢東は多民族の集まりであった中国にあって、この愚公移山の思想を振りかざし、日本と中国国民党を2つの山に例えた。
この2つの山がどんなに大きく見えても必ず山を崩す時がやってくると説いて、あっというまに共産革命をなしとげてしまった。
有名な話じゃな。
人間と社会を根底から動かしているのは頭の働きなのだ。
社会だけではない、自然現象だって思考によって動くのだよ。
キリストは信仰の上に信念を置けば海の上を歩くことさえできることを示した。
日蓮は狂気の人であったが、その信念は日本の法華経系仏教団体を生み出し今や世界に影響を与えるようになった。
現象は人間のコモンセンスによってのみ捉えられるわけではない。
神の側から見れば神のコモンセンスによって現象は動いているのだ。
仏典の中には、神やヨーガ行者がどのようにして地上に地震を発生させるのかについて、その方法が具体的に述べられている経典もある。
このような力を神通力と呼ぶ。
彼らは、人間のコモンセンスとは異なる原理によって諸現象を動かすのだ。」
テレビの画面が再びニュースに変わった。
先ほどの殺人事件報道の続報であった。
今度は私の顔写真は写しだされなかった。
警察署の遺体安置室にあったはずの被害者遺体が無くなっていたという内容であった。
大騒ぎになっているようだった。
いったいどうしたというのだ?
「お前さんの殺したのは影なんだろ?
影なんだから実体は無い。遺体が無くなっても当然なのだ。
彼らのコモンセンスではわからないことが起きたのだよ。」
「では、ぼくはもう殺人犯では無いということになります。」
「そうじゃな。
後ろを見てごらん。」
私が後ろを振りかえってみると、いつのまにか先ほどまであったあの高い塀がすべて無くなっていた。
刑事たちはまだうろついていた。
刑事たちと目が合った。しかし、何事もなかったように彼らは立ち去って行ったのだ。
「証拠物件が無くなったのだから、立件も何もできないのさ。」
私はほっとした。
「わしは大学教授をやっとる。
第四紀学が専門なんだ。」
「第四紀とは何ですか?」
「第四紀とは人類の時代のことだ。
主に生物の大量絶滅を境界にして地質時代は六つの代に分けられている。
そして、最新の新生代は三つの紀に区分されている。
その三つの紀の最後、ヒト属あるいはホモ属と呼ばれる人類が発生した時代を第四紀というのだ。
現代人はヒト属の中のホモ・サピエンスと呼ばれる種なのだ。
つい最近、第四紀の始まりは260万年前と決められた。
35億年ほど前、シアノバクテリアという藻類の一種が海中に繁殖していった。
シアノバクテリアは光合成によって酸素を放出し、地球上に大量の酸素が形成された。
そのため、地球上のあらゆる生物がそれまで経験したことのない酸素の脅威にさらされたのだ。
生物たちが酸素に適応していく過程の中で、真核生物が生まれ、有性生殖が出現し、多細胞動物が生まれた。
そして、多細胞動物たちが陸上に進出し、多様な生き物たちが生まれていったのだ。
シアノバクテリアという生物が地球環境を変え、地球環境が新たな生き物の発生を促した。
これを生物と環境との共進化という。
第四紀の時代、ホモ・サピエンスという種が、地球上に新たな物質を放出させた。
それが、石油や石炭という化石燃料の採掘だったんだよ。
化石燃料とは、長い年月にわたって堆積した植物の死骸なんだ。
化石燃料を燃やすことにより二酸化炭素を増加させ、地球温暖化をもたらした。
さらに石油化学を発展させて、化学物質を作り出した。
燃料と石油化学は人間の産業活動を飛躍的に発展させ、ありとあらゆる化学物質や有害物質を地球にまき散らしたのだ。
温暖化と化学物質は地球環境を激変させ、多くの生物種を絶滅に追いやっている。
化学物質による化学的ストレスは人間自身も圧迫し、がんや免疫異常や精神病を蔓延させている。
ホモ・サピエンスという種が地球環境を変え、地球環境が生物の進化を促進しようとしている。
現代とはそういう時代なのだよ。」
「温暖化や化学物質の蔓延がどんな進化をもたらすというんですか?」
「このままでは、人類は絶滅するということだ。
物理学者のホーキングが言っていたように、あと100年ももたないだろう。」
「それは進化とは言えないでしょう。」
「このままでは、ということだ。
人間自身が進歩していく道を選択し、文明のパラダイムシフトを実現しなければ、もはや滅びるしかないという瀬戸際に立たされているということなんだ。
この逃れられない現実が人間の新たなる進化を促進するとわしは考えているんだ。
ヒトの進化を決定づけたのは直立2足歩行という姿勢の確立であったとされている。
気候変動によりアフリカにサバンナが出現し、森の中にいた類人猿たちが草原へと追い出されたことからそれは始まった。
現代文明はこの直立2足歩行という姿勢をほぼ完成させた人類の思考形式と感性に基づいて創られている。
それは主にギリシャ・ローマから始まった文明の流れなのだ。
しかし、わしは最近気が付いたんじゃよ。
人類の体得すべき姿勢は直立2足歩行だけでは未完成であるということにね。」
「どのような姿勢を体得すれば完成するんですか?」
「それは座るという姿勢なんだ。」
「座ることならすでに誰でも出来るじゃないですか。」
「ただ座ることではない。
正確に言えば脳をするための姿勢であると言うことが出来る。
人類は直立2足歩行をし、手を使うことによって大脳を発達させていった。
現代文明は人類が発達させた大脳の働きによって創られている。
しかし、人類は発達させた脳を制御することが出来ていないのだよ。
これからの人類が体得すべきことは、大脳を含めた脳機能全体を自在に制御していく能力なんだ。
その能力を開発するのにふさわしい姿勢、それをわしは座るという姿勢と定義したのじゃ。
直立2足歩行しかできない人類の限界が一目見てわかるすばらしい図像がある。」
そういって、老人は書棚から美術書を取り出して開き、ロダンの彫刻の写真を見せてくれた。

考える人

「ロダンの「考える人」ですね。」
「そうじゃな。
この図像には直立2足歩行しかできない人類の特徴すべてが言い尽くされている。
筋骨隆々とした見事な身体。理想的な身体である。
しかし、物事を深く考えようとしたとたんにその身体が使えなくなる。
全身の筋肉に無駄な緊張を作りだし、足の指までひきつらせている。
満面に苦渋の表情を浮かべ、発達した脳を支えきれなくなったかのように顎に手をあてて頭を支えている。
これこそは、直立2足歩行は出来るが、脳の使い方がわからない人間の赤裸々な姿なのじゃ。
この人間の最大の特徴は自他の区別を超えられないという点にある。
広大な宇宙があって、そこに自分がいて、他人がいるという世界観しか持ちえない。
自分と他人を常に比較し、競争し、宇宙を支配している最高者は誰なんだということを問題にする。
ここに自分がいるのだということだけは絶対に疑いようがないと思いなすんだよ。
ギリシャ・ローマ型文明の延長にある現代社会はこんな人々が苦心惨憺して考え出した観念によって運用されているんだ。
こんな人達がこのまま地球を支配していったらどうなるか。
ロダンはそれについても見事に作品によって表現している。」
そういって、老教授は別のページを見せた。
ロダンの地獄の門の写真であった。

地獄の門

「地獄門ですね。」
「そう、このままいったら地獄のような世界が展開するだけなんだ。
ロダンは地獄門の頂点に考える人を配置することによってそれを表現した。
天才というものはすばらしいねえ。
物事の本質というものを単純明快、適確に表現してしまうのだから。
ここには人類の苦悩というものが見事に表現されている。
直立2足歩行しかできない人類が支配する文明はもう限界に来ているということなんだ。
実際、こんな人々によって支配されている現代の一般大多数の人達を観察してごらん。

頭の中にはいつも欲望と妄想ばかりが渦巻き、自分でもどうすることもできず、文明の与えてくれる利器と恩恵に夢中になることばかりに時を過ごし、何もわからないまま生きて死んでいく。
部族闘争が始まって以来の闘争の記憶だけが脳の中に刻み込まれている。そのため、オリンピックに象徴されるように、人を競わせて見世物にすることぐらいしか楽しみがない。不利益を被ったときは争うという発想しか生まれない。口を開けば無意味なことしか語れず、現実の模倣にしか美意識が反応しない。真剣になって考える事柄は、どうすれば自分が得をするか、楽をするかということだけなのだ。そのくせ金を稼ぐ力はない。
このように生きるのがまともな社会人なのだと教育されているからなんだ。
このような生き方に違和感を抱く者は不適応者とみなされるのだ。
おお、ちょうどテレビでこれからの時代が語られているようだよ。」
私は、テレビの画面が見てみた。
そこでは近未来の労働形態の特集をしていた。
今のサラリーマン達は消滅するという。
肉体労働であれ、頭脳労働であれ、社会が必要とする仕事はすべてロボットとAIが行う。
人間の労働収入が無くなるので、生活に最低限必要なお金は国から生活保護費として支給される。
給与所得者だった人たちは特定の会社に属することもなく、生活保護を受けながら低賃金で雑用の仕事をロボット達から時々もらって生きるのだ。
雇い主はロボットとAIなので、そこにはハラスメントもなく公平であり、健康状態も管理してもらえる。人生相談にもAIが答えてくれるそうだ。
ロボットやAIを使って文明を創造していく少数の人々と、ロボットに使われる多数の人々に、人間社会が完全に二極化されるのだという。
創造的な仕事をする人には莫大な収入があり、彼らの払う巨額な税金によって人々の生活保護費がまかなわれるのだそうだ。
「これでは、進化などしそうにもないです。」
と私はつぶやいた。
「そう思うかもしれん。
しかし、わしは人類の文明というものをを調べていてある重大なことに気が付いたのじゃ。
直立二足歩行に続く人間進化の兆候はすでに現れているということだった。
きっかけは『抱朴子』を読んだ時だった。
『抱朴子』は4世紀に中国で葛洪という人物によって書かれた仙人になるための本である。
その中では金丹という金属を原料とした物質を服用する方法こそが最高なのだということがくり返しくり返し説かれている。
私が驚いたのは、金丹の原料の中に天然の水銀やヒ素といった毒物が含まれていたことにある。
葛洪の言うとおりにして、こんなものを服用しつづけたら中毒死するにちがいない。
わしは東洋思想を調べ、これは東洋に古くから伝わる逆成療法の考え方を極限まで進めた方法にちがいないと理解するようになった。
逆成療法は病気を治すために牛の尿のような毒物を飲む方法なんだ。
身体は毒物を排出しようとして熱を出す。
身体の持っている自然治癒力を活性化することにより病気も治してしまうという考え方だ。
水銀やヒ素のような毒物を飲んでこれを体外に排出できるほどに気の力を鍛えれば不老不死の体になれる、というのが『抱朴子』の言いたいことなんだ。
葛洪は、金は永遠に腐敗しないから、金を服用すれば身体も腐敗しない不死体となるのだといったアホな解釈をしているが、これは彼がただの知識人であり仙道を観念で理解したためだろう。
わしはさらに、この思想の起源がインドのヒマラヤ山脈の麓にあることを知った。
釈迦が生まれるよりずっと前、『リグ・ヴェーダ』という詩の初期の作品中にケーシンという風狂のヨーガ行者が登場する。
ケーシンは無一物で衣服もまとわず生活し、神々に愛される者と表現されている。
ケーシンは自身の肉体の中に宇宙創造のプロセスを観察し、毒を飲んで神がそれを消化すると歌われていた。
『抱朴子』の思想の起源はインドにあったのだ。
このインドの地、ヒマラヤ山脈の麓において直立二足歩行に続く座るという姿勢が追究され発見されていることもわしは知ったのだ。
これも釈迦よりも前、『ウパニシャッド』という書には数々の瞑想法が説かれている。
その目的は心を消すということであり、「夢も見ずに熟睡していると同時に、はっきりと覚醒している」状態を実現することによりそれが可能になるとしている。
これをサマーディ(定)と呼んだ。
このサマーディを実現するために最もふさわしい姿勢が足を組んで座るという姿勢だったのだ。
実際、アーリア人渡来よりはるか以前のインダス文明の遺物の中にそのような姿勢をとっている人物の刻印が発見されている。
『ウパニシャッド』では、サマーディにより真の自己(アートマン)を発見できるという思想に到達した。
苦行によって身体の代謝をを極限まで落とすことがサマーディを実現するための主な方法だったらしい。
おそらくは臨死体験から発想したのだろう。
逆成療法や、毒物を飲んで消化する力や、神通力の世界も苦行によりサマーディを追究する中で発見されていったのだ。
それゆえに『リグ・ヴェーダ』では苦行を意味するタパスと言う言葉が宇宙創成の力でもあり、神の力の源泉でもあるのだ。
釈迦もまた、苦行を行いサマーディを追究して悟りを得たのだ。
そして釈迦はサマーディや悟りを得るために苦行は必要ではなく、中道を実践すれば可能なことを発見し、瞑想の道を広く一般化した。
この座るという姿勢、その本質を最も良く表している図像がこれなんだ。」
そう言って老教授は、こんどは別な写真集を開いて見せた。
そこにあるのは東京大仏の写真であった。

東京大仏

「仏像ですね。」
「そうなんじゃ。
これも堂々としてりっぱな体躯をしている。
しかし、身体中の筋肉を弛緩させ、外からは見えないただ一点だけを緊張させている。
顔は限りなく穏やかである。
熟睡すると同時に覚醒している状態が見事に表現されているのだ。
ロダンの考える人とは正反対だろう。
「ここに自分がいるのだ」という思いを完全に制してしまう、これが釈迦の教えだった。
それを追究し続ければ心が消える。これを釈迦はアートマンとは呼ばずに、安らぎ(ニルヴァーナ)と呼んだ。
そして、サマーディを完成させていく過程において得られる能力は六神通として整理された。
ここに表現されているのは、脳機能を制御していく力。大脳皮質のみならず、辺縁系や間脳まで制御していく姿勢なのだ。
それは、自と他の区別を超え、道具を用いないであるがままに一切を理解していくという思想の表現なのだ。
毒物をも消化する不老不死を得ることも、あらゆる神通力を得ることもすべてこの過程の中に含まれる。
自ら作り出した毒物に囲まれ、情報過多の中、何が何だかわからなくなってしまった現代人の必要としている力がすべてこの中にある。
だからこそ、わしは人類が直立二足歩行の次に体得しなければならない姿勢は座るという姿勢なのだと自信を持って断言するのだ。
進化が起こるとき、はじめはごくわずかな少数においてそれが発生するのである。
サバンナに追い出され二足歩行をした人類の中で道具を使うようになったのは、はじめはごくわずかだったのだ。
それがある時点から一気に広まるようになった。
座るという姿勢も同様である。
初めは、ヒマラヤ山脈の麓というごく限られた地域の中のさらにごく限られた少数の人々の間で発見された。
それが、2千年の時を経て、東洋と呼ばれる地域にじわじわと広がっていった。しかしそれもごく限られた人々に過ぎなかった。
今人類は絶滅するか生き残れるかという苦境に立たされている。
座るという姿勢の必要性が広く認識され、全人類に一気に広がっていく時がすぐそこにきている。
それが人間自身が進化する契機となるだろう。人々が神通力を当たり前に持つ時代がやってくる。
今のホモ・サピエンスが繰り広げている馬鹿騒ぎはことごとく終焉していくことだろう。
『ホモ・サピエンスをぶっとばせ!』
これがわが第四紀学の結論なんだ。」
「具体的にどうやったら可能なんでしょうね。」
「簡単なことなんだ。
『ホモ・サピエンスってカッコ悪い』
この認識を全地上に広めていけば良いのだ。実際にその通りなんだから簡単にできるのだ。
そうすれば、ホモ・サピエンスの遺伝的優位性は一気に縮小する。
これが人間進化の突破口となる。」
「そんな漫画みたいなことあり得るんですか。」
「あーる!!
否定しようのない正しい論理は信念を生む。
我が論は否定しようがない。これからの現実がそれを証明してくれる。
信念は奇跡を生み出すのだ。
愚公移山の話にあるとおりにね。
誰も想像していなかったことが起こるとき、誰も見向きもしていなかった世界が必要とされるようになる。
そのときこそは、新たな人間進化が始まるときなんだ。」

了 2018/06/17




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