太陽 ENGINET | 七福神蓄財倶楽部 月

私が見た、夢でもなく現実でもない世界

第15話 大巨人現る


作者 目次


大巨人現る

夢から覚めると私の周りには赤や黄色や淡いピンク色の花が咲き乱れ、なんとも言えない美しい花畑が目の前に広がっていた。
すっかり良い気持ちになり辺りを見渡した。
遠く見える丘に何やら人間達が戯れているのが見えた。
甘美なまでの匂いと色彩が
私を誘い、私は人間達が戯れている丘を登りはじめた。
途中まで登ると人間達の呻き声や叫び声が丘の上から響いてきた。
それでも私は丘を登り続け、
恐る恐る人間達に近づいた。
もうあと10メートルくらいまで近くと一人の男が私の方に走ってきた。
全裸で全身血だらけだった。
その後を数人の全裸の女や男が槍やナタを振り回し、その男を追いかけていた。
逃げてきた男は私の少し手前で力尽き、追いかけてきた男女に捕まり背中を鞭や刃物で叩かれた。
声も失った私はあまりの恐怖に耐え難く、走って逃げようとするが辺り一面に花吹雪が舞い、私の行く手をふさいだ。
すると突然私は倒れた男に足首を掴まれ、
「 助けてくれ」
と懇願された。
然し私は自分の身を守る為にその男の顔面を何度も何度も蹴りあげた。
追いかけてきた男女達の笑い声が聞こえてきた。

私は男がつかんだ手をふりほどくと、一目散に逃げ出した。
走り出して、しばらくすると、後ろのほうで「うあー」という男女の叫び声が聞こえた。私は振り向いてみた。すると、驚嘆すべき光景がそこにあったのだ。
先ほど私の足を掴んでいた男が、身の丈30メートル以上はあろう大巨人になって立っていたのである。
大巨人はたちまちのうちに周囲にいた男女を全員踏み殺してしまった。
そして私のほうを見た。
今度は自分が踏み殺される。そう思った私は全力で逃げ出した。
しかし、あっという間に私はつまみ上げられ、大巨人の手のひらに載せられたのである。
「怖がらなくていい、君には感謝している。僕は友達だよ。」
と大巨人は言った。
まるでキングコングではないか。
「私は、道教の寺に祭られている三清(さんせい)様を守る守護神であり、大巨人であった。
しかし、有るとき酒に酔って三清様の像の顔を蹴飛ばしてしまったのだ。その罪により今までこの苦しみを受けていた。
ところが、先ほど君が私の顔を何度も蹴り上げたおかげで、その罪から解放され、元の大巨人に戻ったのだ。
私は君にお礼がしたい。
何か望むものはあるかな。」
「三清様とは何かが知りたい。」
と私は答えた。
「それは素晴らしい望みだ。奇特な人のようだね。
素晴らしい!」
そういって大巨人は私を手のひらの上で何度も放り上げた。
落ちそうで怖かったし、苦痛であった。
「三清様とは「玉清境」「上清境」「太清境」という最高の天界に住する太元と道と老子様を言う。
しかし、そんな概念だけ知ったところで何になろう。
君には本質を教えてあげよう。
よく聞くのだ。
はじめに道を知らねばならない。
老子様とは人類に道を説き明かした人のことだ。
道を最も速く確実に知る方法、それが戒律を確立するということなのだ。
戒律というと誰しもが、欲望を我慢したり、決まり事を厳格に守ることなのだと理解する。
しかし、ここでいう戒律とはそのようなことではない。
戒とは自己の根源を制御することなのだ。
そのためには、自己というものを離れなければならない。
自分とは他人である。
これこそが自分であるという認識すべてを他人と見なすのだ。
そして、自分が見ている世界というものをただの幻とみなして、これからも離れるのだ。主観的世界と客観的世界双方を離れるのだ。
これを自己と世界を忘れるという。
そして主観と客観の発生以前の世界において中道を確立する。これが戒律のすべてである。
中道とはつりあいの原理のことで、これが万象を貫いているのだ。
指の先にやじろべえを載せると、おもりが釣り合って立っていることが出来る。森羅万象はこの原理に従って立っているのだ。
それ故に、中道を把握することにより万象を一瞬のうちに把握することができる。
一個の人間が宇宙を理解していく道が開けるのだ。
わかるかな。」
「しかし、自己と世界を忘れるとはただの痴呆になれということではないですか。」
と、私は反論してみた。
「自己と世界を忘れるとは脳の中のゴミを捨てるということなのだ。痴呆になるどころか逆に知性は限りなくクリアになる。
人間は自己を追いかけることによって、自分と他人を比べ、自分が社会にどのように評価されているかを常に気にして脳の中にゴミをためこんでいく。
自己を追いかけることをやめ、世界を追いかけることをやめることにより、このゴミを捨て去っていく事が出来る。
これがあるがままにものを見るということなのだ。
人は自分の肉体を通して世界を知る。自分の身体も世界も自分のものではない。このことは誰でも理解できるだろう。
自己という心もまた同様なのだ、心もまた自分のものではない。心に振り回されている限り何も見えない。
心を離れれば、たった一つのものを見ることが出来る。それが中道である。
中道とは今あるものが消え去っていく道。
心を観察し続け中道を実践し続けていくことが、たった一つのものに止まることを意味する。
一つのものに止まると書いて正しいと読む。
中道とは正しさそのものなのだ。
正しさを維持し続けることが一を守るということであり、これを守一(しゅいつ)という。
守一を続ければ無駄なエネルギーの流出が無くなる。
この守一こそが戒律の本質なのだ。
どうだね、わかるかね。」
「おもしろいですね。」
「そうかね。おもしろいかね!
うわっはっはっはっはっ。
それは素晴らしい!」
そう言って大巨人は再び私を手のひらの上で何度も放り上げた。
どうも乱暴な巨人のようであった。
「中道こそ最高の力なのだ。
中道に従えばどんなことでも成就する。
あらゆることに自在となる。
破壊することも創造することも自在だ。
中道こそすべてなのだ。
万物の中に見えざる中心がある。
自己の中に見えざる中心がある。
これらは同一のもの。

自己の中には炎がある
炎を観察すれば、それは上昇軌道に向かって燃え上がる
これを衝脈という
衝脈の中枢にさらに細い道がある
中心を探れ
中心は必要最低限の動きしかしない
つり合いの中のつり合い
正しさの中の正しさ
中の中の中
中枢の中の中枢
中心の中の中心
真ん中の中の真ん中
すべての真ん中
一切のど真ん中を正確に貫く

これこそは偉大なる中道であり、中道が大いなる平安である太元へと自己を導いてくれる。
それはあるものすべてが消えていく道なのだ。
川の流れがやがて海に注ぐように、道は太元へと流れる。
君は何もすること無くその流れに自己をゆだねているだけでよいのだよ。
必要なことはすべて道が成し遂げてくれる。
何も願わず、何もしないことによってすべてを成し遂げる。
これこそが無為自然である。
無為にしてなさざるは無し。
それはあらゆる神通の源。
君に中道の力をみせてあげよう。」
そう言って大巨人は、片足を上げると、気合いととともに大地を踏みしめた。
すると、地上にある木や岩や建造物すべてが一瞬のうちに倒壊してしまったのである。
「うわっはっはっはっはっ。
中道は自己を守る最強の力でもあるのだ。
戒を守り、中道を維持すれば強大な力を得ることができる。
それが災厄から自己を守る力にもなり、物事を成し遂げる力にもなる。
君は精神という言葉を知っているだろう。
君はもう気がついているかも知れない。
精神の本質は言葉ではない。
精神は言葉によっても音によってもイメージによっても表現しえない。
しかし、それは確実に伝えることが出来るのだ。
近代インドの聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサはこんなことを言ったそうじゃないか。
「もし私が牢獄に閉じ込められ、誰にも知られずに死んでいったとしても、私の思想はじわじわと全地上へと伝わっていく。」
この言葉ほど精神というものの本質を見事に表現しているものはない。
中道を知る心というものはまさしくこのような精神なのだ。
中道の本質はいかなる概念でもない。
あの偉大な仏陀釈迦牟尼も悟りを開いた時、その内容を説くことをためらったのだ。
自分の発見した真理を説いたところで誰も理解はしない、徒労に終わるであろう。
そのように考え、沈黙を守った。
釈迦牟尼以前にも完全な悟りを得たヨーガ行者たちは何人もいたが、彼らも沈黙を守った。
かれらは辟支仏(びゃくしぶつ)と呼ばれている、教えを説かない仏陀たちなのだ。自分の思想の本質は言葉では伝わらない、沈黙のまま死んでいっても自分の思想は全地上に伝わっていくという確信があったが故に教えを説かなかったのだ。
仏陀釈迦牟尼もはじめはそのように考えた。
ところが創造主たる神がそれを見て「ああこの世は滅びるであろう」と考えた。
そして、仏陀の目の前に現れて教えを説くように懇願したのだ。
仏陀釈迦牟尼はその懇願を受け入れて、教えを説く決意をした。
こうして仏教というものがこの世に生まれたのだ。
言葉では表し得ない真理をどのようにして言葉で説くか。
仏陀釈迦牟尼はこの課題に対して巧みな方法を考案したのだ。
それは、真理そのものについては決して言葉では定義しない、そのかわり真理を言葉を使って指し示すという方法だった。
仏陀と同等の悟りを得た弟子の阿羅漢たちが、釈迦牟尼の意思を受け継ぎ、それを発展させてついに完成させたのが、四諦や十二縁起という思想だったのだ。
これらは超人たちの叡智を結集させて練り上げられた、誰も超えることの出来ない最高の思想なのだ。
これらは真理そのものを定義するのではなく、真理を指し示すという構造をしているのだ。
創造主はなぜ世は滅びると考えたのか、それは真理を悟った人の思想がじわじわと地上に伝わっていく速度よりも、人類の狂気が蔓延していく速度のほうがはるかに速いからなのだ。人類の狂気に対抗していくためには、言葉によって真理を表現するということが必要だった。それで創造主は仏陀に言葉で教えを説いて欲しいと懇願した。仏典に説かれていることは本当だった。人類の狂気は今や地球全体を滅亡に追いやろうとしている。仏教というものが本当の力を現すのは、人類の狂気がすでに極点に達しているこれからの時代においてなのだ。
これからの時代、仏教は自然科学と結びついて人類をリードしていくことだろう。」
「インドや仏教にも詳しいんですね。」
「うわっはっはっはっはっ。
良いことを言う。
道教の教えにもいろいろある。
まじないをして現世利益を求める教えは下のランクの道教である。
不老長寿や不老不死を追求する教えは中のランクの道教である。
そして道教の最も高度な思想は仏教と同じなのだよ。
達磨大師がそれを中国に伝えたのだ。」
「達磨大師は道士ではなく仏教僧ではないですか。」
と、私は再び反論した。
「さっき私が説いたことをもう忘れたのかな。
精神の本質は言葉では伝わらん。
達磨大師は崇山で九年間瞑想をして自分の悟りを中国の地に植え付けた。
達磨の精神はその後じわじわと中国全土に無言のうちに伝わっていったのだ。
道士たちの中にもその精神に感応する人々が現れたのだ。
仏教だの道教だのといった形式は人間が頭の中で作り出している観念にすぎない。
高度な世界においてそんなことは何の意味ももたないのだ。
最上級の道士たちは太元をニルヴァーナと見なす。
太元はどこかかなたにあるわけではない、今ここにある。
無為自然の道は中道であり、今ここにあるニルヴァーナに向かって流れるのだ。
上流の世界においては仏教も道教もその本質は同じなのだよ。
これが、達磨大師が伝えた精神だ。」
「そのように悟っているあなたも自分の犯した罪からは逃れられなかったのですね。」
「うわっはっはっはっはっ。
その通りなんだよ。
カルマの法則は絶対だ。
たとえ中道を悟っても、存在している限りはカルマの法則に支配される。
けむりのように消えてニルヴァーナに至り存在から解放されない限りはカルマの支配下にあるのだ。
しかし、このことは幸福を求める者にとっては救いなのだよ。
なぜならカルマの法則は絶対だからだ。
幸福を求めるならば功徳を積めば良い。
その果報は必ずやってくる。
いくらだっって幸福が得られる。
功徳とは戒律を守り、万物への慈悲の精神を培うことを意味する。
つまりは中道を実践し、無為自然の道に己をゆだねることが根本にあるのだ。
私は、長年にわたって功徳を積み大神通を得ることができた。」
「真理を伝えることだって功徳になるでしょう。
真理を言葉によって指し示すことが可能ならば、言葉以外のイマジネーションによって指し示すことだって可能なはずです。
芸術によって真理を指し示すことだって可能なはずです。」
「その通りだよ。
君は理解力がよろしい!
真理を指し示すだけならばどんな方法によってだって可能なのだ。
真理はこの方向にありますよ、という標識を作り出せばいいだけなのだから。
そのためには仏教が最も豊かなヒントを与えてくれることだろう。
功徳を積め!真理を指し示せ!この2つだけが世界を救うのだ。
私が長年培ってきた功徳の力を見せてあげよう。
私は君を観音浄土に吹き飛ばしてしまうことも出来るのだよ。」
「本当ですか?」
「本当だとも、見るがいい!」
そう言って大巨人は、私を空中に放り投げ、息を吹きかけた。
すると、私はあっというまに地球を飛び越え、銀河系を後にし、観音浄土とおぼしきところへ吹き飛ばされたのだった。
そして、その瞬間幻夢から醒めたのだ。
未だかつてない爽快な幻夢であった。

了 2018/04/02




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