太陽 ENGINET | 七福神蓄財倶楽部 月

私が見た、夢でもなく現実でもない世界

第14話 牢獄


作者 目次


牢獄

其れは檻の中に入ってる自分が目覚めた瞬間から始まった。
薄暗い四方八方が鉄の棒に囲まれた部屋で一人目を覚ました。
奥の暗闇からコツコツという足音が近づいてくる。
足音は私の前で止まった。
私は顔を上げ、その男の顔を凝視した。
男は赤い褌姿に全身に刺青が入っていた。
胸から腰に観音様らしき姿の刺青が彫ってある。
顔は40台か50代のおじさんといったところか?
その男は私の前に立ち
「どうだ檻の中は!おまえの好きな自由があるだろう!ここは自由を好む者だけが入る刑務所だよ!気に入ったか?」
私は返す言葉も見つからず沈黙を保った。
いったい何を言ってるんだ?
このオッさんは?
自由を好む者だけが入る刑務所?
っていったいなんなんだ?
俺は刑務所に入る様な事は何もしてないぞ!
と思いながら横を見てみるとやはり鉄の牢屋に入れられた男が鉄の棒にしがみつきながら私の方を見ている。
顔は痩せこけ目は窪み、まるで末期の癌患者の様な姿をして私の方をニヤニヤと不気味な笑顔を浮かべながら
「君も自由を求めて捕まったんだな!可哀想に!哀れな奴だな!」
低い声で私に話しかけてきた。
私は全く意味を理解できないままに呆然と立ち尽くしていた。

自由を求めると牢獄に入るということなのかな。

自由とはなんぞや?
存在はもともと自由である。
分子のブラウン運動は規則性や目的性もなく気ままな動きをしようとする。
物体はすべて物理法則に従って目的も恣意性もない動きを繰り返しているだけである。
生物も同様に代謝と遺伝を目的も理由もなく繰り返し、適応できたものが生き残っているだけなのだ。
なぜそれを繰り返すのか生物自身にもわからないのである。
生まれて間もない人の子は、わけのわからない泣き声を発し、手足をわけもわからずバタつかせる。
これこそが、目的も恣意性も見えない動きの本質である。
何だかわからないからこそ、何かをせずにはいられないのだ。
暗闇の中に置かれた人は、手足をわけのわからない方向に伸ばしてはここがどのような場所なのか知ろうとするだろう。
目的も恣意性も見えない動きは、このような何もわからないこと、何も知らないことが条件となって発生する。
その条件は闇に例えられる。これが無明と呼ばれる。
存在は何も知らない、だから存在をやめていくことができない。
無明があり続けるからこそ、存在は存在を続けるのである。
目的もなく、恣意性もない気ままな動きが自由と言うのなら、自由の本質はただの闇である。
そこに意味のあるものは何もない。
しかしながら、それを求めることをやめることができないのだ。何も知らないが故に。

無明は必然的に秩序を作り出す。
無明からあらゆる秩序が生まれる。
多数の人間の好き勝手な活動があまたの社会のルールを作り出す。それによって様々な文化と文明社会が生まれたのだ。
生物のやみくもな代謝と遺伝のくり返しが自然淘汰を発生させ、生態系と自然界の秩序を作り出す。
混沌から時空の秩序が生まれる。時空を構成する存在は盲目的な動きをくり返し、物理法則に従って物質の大系を作り出すのだ。

前提となっているのは混沌の中に内在ずる不安定、あるいは苦しみである。
すべて生き物は苦しみを避けようとする。
すべて存在は不安定な状態から安定した状態へと移行しようとする。
この原理が法則となって現れるのだ。
苦しみあるいは不安定とは原理の中の原理、法則の中の法則である。
それ故に、苦とは何か、不安定とは何かを知るということが、真理を知るということなのである。
苦は真理そのものである。
真理を知らない状態が無明である。
生き物は苦しみを避け幸いを求めて生き続けようとする。この動きが生態系の秩序や人間社会の様々なルールを作り出しているのだ。
物質は盲目的な動きをくり返している。そこに顕著な偏向が発生したとき、多くの物質が安定した状態を求めて同じ方向に向かおうとする。これが物理法則として識別されるのである。
無明とはあらゆる苦しみと不安定を際限も無く生み出し続けている原理であるということになる。
苦を知らぬが故に苦が生み出されるのだ。
無明から法則が生まれる。その逆ではない。
それ故に法則やルールがいくら生み出されても無明は消えることは無いのである。

無明を基盤とした自由は、法則によって規制される。
人間が自由を求めて活動するほどに、社会のルールと秩序は益々複雑となっていく。
いかに複雑になったとしても無明は消えることなく、人々は新たな自由を求める。
「遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけん」
これこそが、人間と人間社会を動かしている根本原理である。
どうやってこの思いは実現されていくのであろうか。
社会のルールに従いさえすれば、どんな自由も許される。
人を殺したいなら、政治家や軍人や裁判官になればいい。
判事の出す死刑判決文には人を殺したいという思いがにじみ出ているではないか。
人を切り刻みたかったら、外科医になればいい。
多くの人をだましたいなら、人々から尊敬される宗教家になればそれが許されるのだ。
ルールに従って営業活動をする限り、いくら金儲けをしても自由なのだ。
対価を支払うというルールさえ守れば、働かないで生きることも自由である。

自由を得たければ法則やルールを良く理解すればよいということになる。
それは人間社会のことだけではない。
生態系を支配する法則や、物理法則を良く理解してそれを技術に応用すれば、人間の欲望を満たしてくれる様々なモノをいくらでも作り出していくことが可能なのだ。
人間が自然に支配されるのではなく、人間が自然を支配していく世界が開かれるのだ。

人間にとって法則はすべて知識と結びついている。
すべて法則は概念化することが可能だからである。
それ故にこの世では、よく学び多くの知識を得ることが奨励されているのである。
知識とそこから生まれる技術はお金によって買う事が出来る。
それ故にこの世では、より多くのお金を稼ぐことが奨励されているのである。
豊富な知識と豊富なお金がより豊かな文明を創り上げる。
豊かな文明こそがより多くの人々を幸福へと導く。
人々はそのように信じて知識とお金を求めるのである。

しかしながら、見落としている重大な点がある。
法則は無明という闇から生まれているという点である。
この仕組みをはっきり捉えている人類がどれほどいるというのだろう。
統計的にはゼロに等しいのではないだろうか。
法則についての知識をいくら得たところで、無明という闇は晴れることはない。
暗闇の中に置かれた人が手足を四方八方に動かして、そこにあるものを一つ一つ確かめていく。こうして確かめられていった事柄が知識であり概念なのだ。
知識は増えても暗闇は相も変わらず存在し続ける。
知識を得たいという欲求そのものも無明という闇から生まれている。
文明をいくら発展させても相変わらず人々は何も知らないのである。
自己の来し方行く末さえ知らないのである。
自己とは何かさえ知らないのである。

何かを知る者は何も知らない。
何かを理解する者は何も理解しない。

これが永遠の真実なのだ。
多くの知識を得て、何も知らないのに何かを知ったと信じている人々こそ最も深い闇の中にいるのだ。

では、どうしたら無明という闇を晴らすことができるのか?
夢を追い求めるのをやめて闇の中にいる自分自身を直視することが第一歩。
闇の正体が苦に対する無知であることを観察することが第二歩。
苦そのものを観察し続けることが第三歩。
苦とは"今ここ"に現れている現実そのものである。
苦の観察とは、概念や妄想を追いかけるのを一切やめて、"今ここ"をあるがままに観察し続けることなのだ。
これ以外に道は無い。
これだけが無明を晴らしていく道なのだ。
これこそが真理の探究なのだ。

では、真理と法則はどんな関係にあるんだ?
法則は無明から生まれている。
法則は無明の表現である。真理の表現ではない。
ということは、法則の裏側に無明を晴らす真理が潜んでいるということだ。
法則の裏側にあるもの、それこそが"今ここ"という現実なのだ。
知識は真理の裏側だけを捉える事が出来る。
真理そのものを直接捉えたかったら知識は捨てるしかない。
"今ここ"はいかなる知識でもない。
あるがままの現実そのものである。
"今ここ"の中にこそ真の自由がある。無明の闇が晴れること以上の自由などあり得ないからだ。
知識によって築かれた文明の恩恵ばかり求める人類は、その生涯を妄想の中で過ごす。"今ここ"という現実は決して見ようとはしない。それ故に何も分からずに生き、何も分からずに死んでいくのである。彼らこそは牢獄の中の人生を選択しているのだ。

「いったい何を考えているんだ?この牢獄の現実に絶望したのかな?」
先ほどの男が再び語りかけてきた。
「ここは牢獄ではない、自由の世界なのだ。」
「どうやらおまえは頭がおかしくなったようだね。無理も無い。」
「頭のおかしくなった人間だけが真理を見る。」
「ほう、何を見たと言うんだ?」
「現代人は牢獄の中にいる。
文明のもたらしてくれる恩恵をむさぼることに終始している現代人は、自らの脳の作り出す妄想の中に閉じ込められたまま一歩も外に出ることが出来ない。
これこそ牢獄なのだ。
この檻の外の世界こそ牢獄なのだよ。
この檻の中は現代文明というガラクタから隔絶されている。最高の環境なのだ。
ここにこそ最上級の自由がある。
現代文明もホモ・サピエンスも長く続くことはない。
新しい文明を切り開いていく叡智はこの檻の中から生まれることだろう。」
「それは面白いことを言うね。
しかし、ホモ・サピエンスがいなくなったら人間社会も無くなってしまうではないか。」
「そうではない。人類そのものが進化するという意味なんだ。
人間はもともと何も知らず無知な状態で生まれてくる。
現代文明とは無知な状態で生まれてきた人間をますます無知にしていく文明なんだ。
文明は本来人間進化を促すものでなければならない。
現代文明は人間を進化させるどろころが、逆に退化させている。
人間存在を心身ともに脆弱にし、元々持っていたはずの能力さえも教育によって奪い取り、完璧なまでの痴呆へと育て上げているだけなんだ。
文明社会に適応したただの動物に仕立て上げられているんだ。
だから、人工知能が人間を超えるなどという見解を本当だと思ってしまう。
人間が本来持っている能力を失っているためにそう思うのだ。
だからこの文明は続かない。
これからやってくる新しい波は、人類が直立二足歩行を経験して以来経験したことのない人間進化の大きな波なのだ。
それは最も大きな歴史の波なのだ。
人間自身を進化させていく文明、それがこれから訪れる文明である。」
「なかなかいい見解だ。一理はある。
実はオレは東大を卒業しているんだ。駒場の教養学部だけどね。
東大の教授の中では医学部が一番力を握っている。理系が圧倒的に優位。
今では文系の教授など教授とは見なされていないといっていいだろう。
教養学部に至っては最下端に位置する。
もはや東大の異端であり、学部も駒場にしかない。
東大の権力構造の蚊帳の外なのだ。
世界の期待は理系に集中している。
これからも驀進するであろう自然科学の進歩が人間進化につながると思うかね?」
「逆なんだよ。
教養学部の追究しているテーマこそ、文明の最上部に位置づけなければならない。
これからの時代は人類の文明そのものを俯瞰的に観察し、総体的に捉えていく総合知というものが必須なんだ。
新しい文明の指針となる総合知を創造していくこと、これが出来る立場にあるのは教養学部だけなんだ。
自然科学が明らかにしてくれるのは、真実というものの裏側なんだ。しかもそれは常に現実のほんの一部でしかない。
この一部の裏側を総合し、表側を明らかにしていく叡智というものが必要なのだ。
専門研究の成果はすべて総合知によって統合されてこそ意味を持つ。
真実そのものを明らかにしていくのは自然科学ではなく人間そのものである。
二十世紀以降の時代において物理学者ほどの馬鹿はどこにもいない。
物質の大系と意識の大系は別物である。それらはともに法則から生まれた。
彼らはそんなことさえ理解できないでいる。
しかも彼らの言っている物質は泡のようなものであり、かげろうのようなものであり、宇宙輪廻の中にある。それは物質というよりむしろ欲望の一部なのだ。
宇宙輪廻を免れた真の物質は別なところにある。
古代インドのヨーガ行者たちはそのことをはっきりと理解していた。
だから仏典ではこの世界を物質世界とは呼ばずに欲界と呼ぶのだ。
物質世界のことは色界と呼ぶ。さらにその上位の無色界のことも理解していた。さらにこれらすべてが無知に立脚して現れていることさえ理解していた。
無明からカルマが生まれカルマから法則がうまれ、法則から物質と心の大系が生まれる。
仏典ではこのように整理されて表現された。
そして、無明を滅ぼしカルマから解放されることに真理を見いだした。
物理学者は欲界の作り出すかげろうのような法則の一部だけを捉えて、宇宙のすべてが把握できたようなことを言うのだ。
自然科学の専門家たちは、万象の中のほんの一部の法則を発見していきなり宇宙と何か、人間とは何かといったテーマに答えを出そうとする。
彼らの妄想に付き合ってはならない。
同じ人類の作った文明にこれほと大きな知見の差があるのだ。その知見の差はあまりにも大きすぎる。この謎は必ずや解き明かさなければならない。
自然科学を創造したギリシャ・ローマ型文明だけが人間の文明ではないんだよ。
だから文明はそれを総体的、総合的に理解しなければならない。
自然科学はあくまでも人類の生んだ文明の一部である。」
「オレもそうではないかと前から思っていたんだ。
総合知に興味があったからこそ、教養学部に学んだ。
だいたい、芸術家や宗教家や思想家たち自体が現代文明にどうしようもなく汚染されてしまっている。文系が世の中から軽んじられるのも当然だ。
現代美術はただの投機の対象で、作家はその需要に応えようとしているだけなのだ。
ノーベル文学賞作家などといっても、結局人間世界のことしか描けない。かつて人類は人間を超えた超現実の世界を語っていた。むしろそれが文学のテーマだった。
音楽だって、本来は神々との交流が目的だった。
おまえの言うように現代人は退化したのだろう。
文明は総合的に捉えなければならない。現代だけを見ていてはだめなんだ。
しかし、そのテーマは重いぞ。
単なる思いつきみたいな思想では絶対できないんだ。
アプローチの仕方が、テーマを一つに絞った専門学者とは全然違う。
万人を説得しうる人間存在の本質というものを徹底的に突いていかなければならない。
嘘偽りなく、天才の力が必要だ。」
「だからこそ、この檻の中は最高の環境なんだ。
天才の力は生まれつきものではない、極限的な制約こそが人間の天才を引っ張り出すんだ。
誰からも相手にされない、完全なる孤立。
真の天才は必ずここから生まれる。」
「そうかも知れん。
いや、そうに違いない。
そうでなければオレの存在の意味がない。
オレは必ずや新しい総合知を開発してみせる。
このオレにしか出来ないことをやるんだ。」

了 2018/03/18




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