太陽 ENGINET | 七福神蓄財倶楽部 月

私が見た、夢でもなく現実でもない世界

第13話 土蔵の怪


作者 目次


土蔵の怪

鳥居をくぐると薄暗い夕暮れの空に男達の威勢のいい声が響いていた。
どうやら私は酉の市に来たらしい。
無数の熊手が並ぶ中「 ウチの熊手は商売繁盛間違いなし」威勢のいい男の声とともに一本締めをする輩の声があちこちに響き渡る。
たこ焼きやお好み焼きの屋台も数多くでていた。
私はラムネを手に人混みの中を歩いていた。
途中私は小便をしたくなり出店の裏手に回った時だった。
赤い看板に黒い字で " 見世物小屋 "と書いてあった。
私は何故かその看板が気になりさっさと小便を済ませ見世物小屋の入り口で、五百円を払い中へと入った。
すると最初に私の目の前に現れたのは檻の中に入る少女の姿だった。
その檻には千里眼を持つ少女と書かれてあった。
檻の中の少女はニコニコしながら私に手を振ってきた。
私も思わず手を振り返した。その辺にいる普通の少女となんら変わりなかった。
怖いもの見たさで入った私は少し拍子抜けをしたが、私が隣の檻に進もうとすると少女の眉間の上あたりに三つ目の小さな目があって、いきなりパッと開いたのである。
他の二つの目は微笑んでいたが、何故かその眉間の上にある少女の目からは涙が流れていた。
落ちる涙は孤独な暗がりを映し出した。
その暗がりの中で、赤や黄色や緑や紫、原色を中心とした鮮やかな色のリボンが幾つも飛び交っていた。
子宮を思わせる闇の中に炎が高く燃え上がり、炎の先端は天空へと消えていった。
その中を赤い色が鮮血のように飛び散っていた。
闇の中に小さなレンズのような光が現れる。
その光を覗くと、その彼方にはまるでマッチ売りの少女がマッチを擦ったときのように、幸福に満たされた明るく耽美的な世界が展開しているのであった。
人間でもあり、動物でもあり、植物でもあり、神でもあり、妖怪でもあり、妖精でもあるような奇怪で神秘的な顔や端正で美しい顔が次々と闇の中に現れ、おとぎ話のような世界を作り上げていた。
目玉をまん丸にした大きな奇怪な顔が現れ、何かを叫んでいた。
何を言っているのかはわからない。

私には、この光景が、土蔵の中に閉じ込められて生きた人々の、苦痛と甘美に満たされた過去の記憶の世界の累積であることが理解されたのだった。

かつての日本社会では、知的障害を持って生まれてきた子は、世間体が悪いという理由で、外からは見えない土蔵の中に閉じ込めて秘かに育てられたのである。世間体が悪いという言葉のより具体的な意味は、家督相続者たる長男のもとに望む嫁が来たがらなくなってしまうということであった。いつでも家庭や家族の問題というものはすべてここに集約されるのである。知的障害を土蔵に閉じ込めるという慣習は、長期間にわたり幅広く行われていたようで、明治時代には、知的障害や精神異常者は自宅に監禁しなければならないという法律まで施行されていたのである。背景には障害者施設といったものが不足していたという現実もあった。座敷牢と呼ばれる、自宅の敷地内に作られた周囲から遮断された部屋に障害者を家族が「監置」し、それを警察が管理するという制度であった。土蔵にしろ座敷牢にしろ、それらを所有できるほどの家を持っているという前提がある。知的障害が土蔵に閉じ込められるのはまだ待遇が良いほうなのである。そうで無い場合は、神隠しにあった、人さらいにさらわれたという名目で秘かに見世物小屋に売られていった。見世物小屋は生まれつき奇形の人や奇病を持つ人が自らを見世物にして収入を得ることの出来る場であった。障害者が買われてきた場合、心身を加工されて見世物にふさわしい奇形に仕立て上げられたのである。そのような場合、長くは生きられなかったらしい。死んでからは河童や鬼や人魚のような空想的な生き物のミイラにもされたようである。これらも見世物であった。

私は、ある著名な小説家の作品世界が、土蔵の中に閉じ込められて人生を送った知的障害者たちの内的世界をテーマにしていることにはっきりと気づいた。
「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」と語った江戸川乱歩である。
乱歩は、強度の発達障害をかかえたまま、土蔵の暗闇の中に閉じ込められ、人間社会との交流もなく生きて死んでいった人々や、見世物小屋に売られ、人間ではないものに改造され、調教されて短命で終わっていった人々の心の中に深く入り込み、その心象風景を追っていった。そして、そのような人々を、極端な幼児的傾向と、隔絶された暗闇の中でしか味わえないものに対する偏愛を持ち、社会に復讐を企てる天才的な犯罪者として作品の中に蘇らせたのである。
実際に晩年の乱歩は土蔵を作ってそこに自らの蔵書やコレクションを貯蔵した。愛蔵コレクションとともに土蔵の中に閉じこもり空想を楽しんでいたようである。土蔵を書斎にしたかったが、冬場の寒さに耐えきれずにあきらめたらしい。土蔵は東京の池袋に今でも乱歩記念館として保存されている。

深海の生き物が原色によって彩られているように、闇の中に広がる色彩は原色を基調とする。
「鮮やかな七色の風船に結びつけられた人間の肉体の一部がフワフワと青空の中を漂う」、「色彩の調和という概念の全く存在しない触覚のみによって描かれた絵画作品」、だからこそ乱歩はこんな色彩感覚を好んで描いたのだ。
原色の中心にあるのは赤、血の色である。
草むらの中ににょきにょきと花を咲かせる女のばらばらになった死体、山犬に食われ臓腑を露出して目ん玉を剥いて赤い血の塊と化した死体、人造楽園の夜空に人間花火となって閃光とともに血まみれの手足が飛ぶ。こんな光景が必要だったのだ。
「火星の運河」では、聴覚、嗅覚、触覚が、たった一つの視覚に集められるという森林にさまよう男が、自分自身の肉体が豊満なる女体に変貌したことを楽しむが、この森林においてたった一つ足りない色が紅の色であることに気がつく。そこで男は沼のほとりで、豊満なる乙女となった自分の全身を傷つけて赤い血を振りまくと、空も森も水もそれを喜ぶという夢の話である。

そして健常者に対する強い憧れと憎しみ。それは人間の死体を飾って鑑賞するという美意識にたどり着く。
乱歩の作品の登場人物たちは、その人を殺してしまわなければならないほど人を愛するのだ。
初恋の女をつけ回し、それを殺すことによって所有した男が、その死骸と暮らす様子を描く「虫」。主人公は死体を保存しようと様々な方法を試みるが、いずれも失敗する。死体が、仏典に説かれている死の九相のような腐敗の過程が進んで変貌していく様子が克明に描かれる。最後に死体から湧き出たもの、それは無数の虫であった。
自らの美意識で選んだ特別の美男美女を誘拐し、その肉体を傷つけないように水槽に放り込んで殺し、はく製にする女盗賊「黒蜥蜴」。東京湾の地下にあるアジトには、盗み取った美術品のコレクションとともに、幾多の全裸の美男美女のはく製が陳列されていたのだ。
「白昼夢」という短編では、薬屋の主人が愛する妻を殺害して、遺体を長期間水に漬けて屍蝋にする。屍蝋が完成すると脂肪が変性し、死体全体が蝋化して蝋人形のようになり変化がほとんど起こらなくなる。薬屋の主人はそれを店内に人体模型として展示し、自分がいかに妻を愛していたかを力説するのであった。怪しげな漢方薬の素材標本とともにひときわ目立って置かれた美しい女の人体標本、よく見ると体表にはうぶ毛があり、ニッと笑った口元からは八重歯がのぞいていた。
実際に屍蝋となったと考えられる遺体は世界に何体も実在している。イタリアのトスカーナのメイドだった聖ジータ、ラマ僧ダシ=ドルジョ・イチゲロフによる即身仏、インカ帝国の高山で生け贄となった少女ラ・ドンチェラ、など、遺体はいつまでたっても生きているかのようであり続けるのである。
このような偏愛は実は誰にも存在する。だから人は人形を創る。仏像、聖母マリア像、太古の昔から人間は人形を作ってそれを崇拝し続けているのだと乱歩は言う。

人間は人間を愛することは出来ない。
人間は人形ならばこれを愛することが出来る。
いつ見ても同じ顔をしているから。
見るたびに違った顔に見えるから。

「まあ、なんということでございましょう。私の夫は、命のない、冷たい人形を恋していたのでございます。」夫は、土蔵の長持の中に大切にしまわれた人形と浮気をし、土蔵の中で睦言を言っていたのだ(「ひとでなしの恋」)。

閉じ込められた者にとっての救いは、時々垣間見る外の世界に対するのぞき見であり、世界に対する果てしない空想である。
それがため、小説世界では鏡、レンズ、万華鏡、双眼鏡、のそきからくりといったのぞき見るための道具に異様な執心が示される。
のぞき見道具の作り出す世界は怪奇と耽美に満ちていた。のぞき見の向こう側の世界に対して決して現実とはならない恋をすることも乱歩の主要なテーマであった。
「押絵と旅する男」は、双眼鏡でのぞき見する男が、双眼鏡のマジックによって押絵細工の中に描かれた振り袖姿の美少女と結ばれるという空想の世界である。
「屋根裏の散歩者」は、天井裏を這い回って他人の秘密の盗み見をすることに夢中になった主人公が、天井の節穴から毒薬を垂らすという犯罪を思いつく話である。

闇の中にあって追い求める感覚の楽しみは、触覚が中心となり、味覚や嗅覚がそれに続く。
椅子職人が、自分の作った椅子の中に入り込み、椅子を購入した日本の官吏の夫人の肉体の感触を楽しむ「人間椅子」。「彼らが柔らかいクッションだと信じきっているものが、実は私という人間の、血の通った太腿であるということを少しも悟らなかったのでございます。」
船の遭難事件で人肉の味を知ったホテル主人が、ホテル内にトルコ風呂を作り、自ら三助の真似事をして、おいしそうな身体の持ち主を見つけては殺して食べる「闇に蠢く」。
戦争で手足と聴覚、声帯を失った軍人を、その妻が性の玩弄物として飼う「芋虫」。芋虫は自由を奪われ人の介護なしには生きられない障害者の姿でもあるのだ。
女体の触感美を追い求めては若くて健康な女を殺し続け、ついには触覚彫刻を創造する盲目の殺人者を描いた「盲獣」。

闇の中に広がるイマジネーション、それは顔を中心とする。一般の人間が思い描くイメージとしての顔、映像としての顔ではなく、古代人が好んで表現した宇宙そのものとしての顔である。
三十三間堂の金色まばゆい仏像がそのまま抜け出したような黄金の顔を持つ黄金怪人。三角型をした大きな鼻、三日月型に笑っている口、目の玉はなくて、ただまっ黒な穴のように見える両眼を持つ青銅の怪人。素顔を決して見せない鉄仮面。黄金の豹の顔を持つ盗賊。生きているロボット、鉄人Q。これらは人間の顔ではない。だからこそ宇宙に直結する生命そのものの姿なのである。
闇の中に輝く光は、美と救いの象徴である。それ故、作中人物は東京大空襲の日、雨のように落下するパナーム弾が閃光を放って都内の木造家屋を焼き尽くしていく様を見て「戦争ってきれいだなあ」とさえ述懐するのである。
そして人間とのコミュニケーションをほとんど経験しない彼らはメロディという観念のない歌を歌う。
暗闇の中、メロディのない歌がとぎれとぎれに歌われ続ける。これが乱歩の小説世界における音楽なのである。

制約された環境に孤独に閉じ込められた人間は、在る点において常人には及ばない特異な能力を発達させる。
乱歩はそのような点もよく見抜いていた。それ故に、主人公たちはみな天才的な犯罪者であり、同時に天才的な芸術家としても描かれるのである。
資産家の莫大な財産を横取りすることに成功した男が、孤島の中に箱庭のような地上の楽園・パノラマ島を生涯をかけて作った。「花ぞのに咲く裸女の花、湯の池に乱れる人魚の群、踊り狂う鋼鉄製の黒怪物、酩酊せぬ笑い上戸の猛獣ども」。恋慕していた資産家夫人をそんなパノラマ島に招待し、その上空で爆死して自らの血で作品を仕上げる「パノラマ島奇談」。
「赤い部屋」では、主人公が「私という人間は、不思議なほどにこの世の中がつまらないのです。生きているということがもう退屈で退屈でしょうがないのです。」と語って絶対に法にふれない殺人方法を次々と考え出しては実行していく。
主人公たちはみな現実に失望し、子宮の中へと回帰しようとする。
「大暗室」では、数々の犯罪を行って大金を集めた犯罪者が、東京の地下に大暗室と名付ける地下王国を作り、詩人たちが空想の中でしか表現できなかった世界を実現しようというテーマに挑む。パノラマの仕掛けにより大森林や果てしない荒野を幻出させ、海中トンネルに海の生き物を通し、選りすぐりの美女たちを雇って天女、人魚、人面獣身の女、蛇女として自然界に出没させる。全裸の女たちを暗闇に配置したり人間ベッドにして感触だけを楽しむ世界を作り、誘拐してきた美男美女たちを石膏に塗りこめて彫塑作品にする。「これは僕の天国です。これは僕の地獄です。この地獄こそ僕にとっては天国以上のものなのです。」地下に悪魔の楽園を作った男は地上の現実世界に対して闘いを挑むのであった。

閉じ込められた人間が特異能力を発達させる。これは実際に起こることなのである。
明治時代に、少年の頃座敷牢に数年間閉じ込められ、念写という特異能力を発達させた三田光一という実在する人物がいる。
気仙沼に生まれた三田光一は幼児の頃から泥棒をした人の嘘を見抜いたり、菓子の隠し場所を当てたり、入学した小学校で担任教師の授業内容を事前に予知したりする特殊な能力を見せていた。それがため、大人達から狐憑きと見なされて、日蓮宗の寺に連れて行かれ、狐落としのため尻に火箸を押しつけるという荒療治がされたが、一向に直らない。そればかりか、水泳中に一度溺れ死んだが、葬式中に棺桶の中から蘇るようなことをして見せた。そのためついに尋常小学校2年の時、「狐つきの少童を放任しては安寧秩序を害する」と判断され、自宅にこしらえた座敷牢に閉じ込められてしまったのである。
光一少年は数年間閉じ込められ、毎日外に出たくて外の世界を強く思念していた。これが透視能力と念写能力を開花させたようである。
三田光一は通常の人間が見ることの出来ないような対象を透視し、さらにそれを写真乾板に焼き付けてしまうことが出来たのである。有名なのが弘法大師空海の姿を透視し、それを念写した写真である。
それは、1930年の春に京都・嵯峨公会堂で行われた念写実験であった。12枚の写真乾板を用意し、そこに三田光一が大覚寺の心経殿を6枚目に写すという実験だった。三田光一は「空海様が写る気がする」と言って実験に挑んで見たところ、12枚の乾板は7枚目が黒くなり、あとは何も写っていないという結果であった。実験は失敗と考えられたが、聴衆席の中にいた写真家が7枚目の乾板は焼きすぎていると指摘したので、7枚目の乾板を再調整してみた。すると肖像画よりもリアルな空海の映像がありありと現れたのである。見物人たちは二の句が告げぬほど驚き、皆真言を唱えて空海像を拝んだという。
1931年には、月の裏側の念写実験も行っている。当時は検証手段が全くなかったが、アポロ宇宙船が捉えた月裏写真が得られるようになったころから研究が可能となった。はじめは、当時の月球儀とのクレーターの位置の数学的比較により月裏念写が検証されていたが、1995年ころから、コンピューター画像の画素について、白黒濃淡の相関係数を出すという方法で比較する研究が進められた。この方法によって月裏念写(1933年)とクレメンタイン衛星による月裏写真(1994年)との比較が行われた。そして、発表されている念写像を裏返しにし時計回りに90度回転した像に対して、月の裏側の中心から南西の地点(緯度-36度、経度221度およびその周辺)に視点をおいたとき、相関係数0.62程度という結果を得た。これは62%程度月の裏側の実写写真と一致していることを意味する。これは偶然とは言えない数値なのだ。
そもそもフィルムに画像が写るということ自体が驚異的なことなのである。

乱歩の作品の中には見世物小屋そのものをテーマにしたものもある。
「踊る一寸法師」は、一座の構成員たちからいじめられていた怪異な風貌と天才的頭脳をもつこびとによる復讐物語である。
「猟奇の果」には古風な見世物を日本中の隅々を探し廻って寄せ集めたかのような東京の見世物小屋が紹介される。「地獄極楽からくり人形、大江山酒呑童子電気人形、女剣舞、玉乗り、猿芝居、曲馬、因果物、熊娘、牛娘、角男」常識人のはずだった品川四郎はその中の熊娘に見とれてしまう。発狂した科学者大川博士は人間改造技術を完成させる。
「孤島の鬼」は孤島の中で、見世物にするための奇形を大量に製造し、見世物小屋に売りさばいていた老人の話である。最後に警官達が孤島に踏み込むと、改造された低能(障害者)たちがゾロゾロと這い出してくるのであった。


乱歩の小説世界は、昭和のエログロナンセンスに分類されていた。まともな文学作品とは見なされていなかったようである。しかしその後も彼の作品への人々の興味は衰えることなく、彼の作品は小学校の図書室にまで置かれるようになった。
映画やドラマの世界においても乱歩のテーマのリバイバルはくり返され、今に至っている。
乱歩の小説世界は、知的障害者たちを闇に封じ込めることをくり返してきた、日本人の深層意識にある罪の意識を直撃する内容をふんだんに含んでいるからなのである。

了 2018/02/19




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