太陽 ENGINET | 七福神蓄財倶楽部 月

私が見た、夢でもなく現実でもない世界

第12話 運命のハンドル


作者 目次


運命のハンドル

円形の真っ黒い空間の真ん中に私が一人ぽつんと立っていた。
円形の壁にはいくつものドアノブがついていた。

私は何気なく一つのドアノブを回しドアを開けてみた。すると眩いばかりの光が私の目に差し込んできて私は一瞬たじろぎ瞼を閉じた。恐る恐る瞼を開けると、目の前に幼き子供が小さなスコップを手に砂場で遊んでいた。私は気になり子供に近寄ってみると子供はこちらを振り向いた。其れは紛れもなく幼き日の自分の姿であった。私には懐かしさも無く何の感情も込み上げては来なかった。ただただ昔の自分を眺めていたが、其れはとても長い時間が過ぎたようにも感じた。

やがて幼き日の自分の姿が徐々に薄くなってゆき、最後には煙のように砂場共々消えていった。
私は背後を振り返り、来た方向へ戻り、最初の円形の空間に立った
そして私は新たなドアノブに手をかけ、恐る恐る回した。すると今度は多数の子供達がドッチボールをしている光景が目の前に広がった。其れはもう皆笑いながら実に楽しそうにボールを投げたり、受け取ったりしていた。 一人の子供がボールを受けとれず、私の前にボールが転がってきた。私はボールを拾い上げ、ボールを追いかけてきた子供に投げ返そうとした瞬間だった。その子供の顔もまさに私の幼き時の自分であった。私は幼き時の自分にボールを投げ返した。その子供は屈託の無い楽しそうな顔をして私に微笑んだ。私は正常な感覚を失いながらも、懐かしさに身を委ね、ジッと子供達を見ていたが、やがてその子供達の姿も徐々に薄くなり消えていった。

円形の空間にはドアがまだいくつもあった。私は気になりまた隣のドアを開けてみた。する其処には眩いばかりの光と共に幼き時の自分が死んだ親父と何やら話をしている場面が目の前に広がっていた。
私は死んだ親父が懐かしく、しばらくその光景を黙って見ていた。すると突然死んだ親父が此方を振り向き、私に気付いたのか? 急に立ち上がって私の方に歩いて来た。
私は懐かしいというよりは何故か怖くなって後ろのドアを開け円形の空間に戻った。 もちろん死んだ親父の姿は其処には無い。
私は気を落ちつかせ辺りを よく見てみると、ドアはまだ4つ残っていた。

私はまだあけていない4つのドアのうちの1つに近づいて、それを開けてみた。
すると、そこは薄暗い室内であった。
暗がりの中で、老人が一人ぽつんと座布団に座って何か作業をしていた。
よく見ると線香花火を作っているようだった。
色とりどりの細長い紙を霧吹きで湿らせ、調合した黒色火薬を紙に乗せ、薄い色紙を器用にこよりに折って、固めていた。
乾かして出来上がった線香花火がいくつも畳の上に並べてあった。
繊細で美しい色合いの花火だった。
神社の夏祭りの授与品かな?内職でもしているんだろか。
しかし、線香花火ではたいした収入にはならんだろうなあ。
老人の顔をよく見ると見覚えがある。
私自身の顔であった。
なんだこの光景は?自分の未来を見ているのか?
しかし、自分の未来という実感はまるで湧かなかった。

そこで、今度は隣にあるもう一つのドアを開けてみた。
そこは広い工房のような場所であった。
部屋の中央では3Dプリンタで奇妙なオブジェが作成されていた。
その隣ではオブジェに丁寧に彩色している人々がいた。
いくつものコンピュータマシンや写真撮影セットもあった。
工房の主と思われる老人が人々にあれこれ指示を与えていた。
この人は出来上がったオブジェに顔や手などを描き込むだけで良かったのである。
この老人の作るオブジェは世界の人類に喜ばれているようであった。
オブジェから作成された巨大モニュメントのポスターも貼ってある。
そのモニュメントは映画に撮られたりもしているようだった。
造形作家として幅広く活躍しているらしい。
その老人の顔を見ると、やはり私自身であった。
これも未来の光景なのか?
未来は2つあるということなのだろうか?
しかし、よく考えれば当然のことである。過去は一つしか無いが、未来は決まっていないのだから。

まだ開けてない2つのドアがある。
私はそのうちの1つを開けようとした。
しかし、それは開かなかった。
いくらドアノブを回そうとしてもびくともしないのである。
ドアには鍵穴もなく、施錠されている様子も無かった。
しかし、どんなに力を入れても開かない。
私はあきらめて、最後の1つのドアへ向かった。

最後の1つのドアは簡単に開けることが出来た。
しかし、目の前には分厚い鉄板があり、鉄板の中央から自動車のハンドルのようなものが突き出ているだけであった。
私は何気なくそのハンドルを回してみた。
その瞬間であった。
体中に激痛が走ったのである。
あまりの痛みに、私は倒れ込んでしまった。
このハンドルは自己の痛みそのものと結びついている。私はそう直感することが出来た。
私は起き上がってもう一度ハンドルにそっと触れてみた。
この痛みは運命の痛みなんだ。私はそう理解した。
人は自分自身をくり返そうとする。
もし、そのくり返しを強制的に突然変えようとすると激しい痛みが生まれるのだ。
しかし人は自分自身をより良く変えていきたいと思っていることも確かなのだ。
急に変えようとするから痛みが生まれる。自分自身の呼吸に合わせてゆっくり変えていけば良いのではないか。
そう考えた私は、今度はハンドルを極めて慎重に、呼吸に合わせてゆっくりと回していった。
始めは右にゆっくりと切ってみた。痛みは発生しなかった。
すると、円形空間の中に並んだ過去と未来の5つのドアが再び開いたのである。
ドアの向こうからは今までに見た過去と未来の光景が再び現れた。
ハンドルをゆっくりと右に少しづつ回し続けた。
すると、5つのドアの向こうにある過去と未来の光景すべてが暗くなっていくのであった。
右に回すほどに、それらの光景はさらに暗くなり、まるで闇の中に沈んでいくようであった。
過去と未来は連動しているようだ。過去が暗くなれば未来も暗くなる。しかし、過去の出来事自体は何も変わっていないのである。
私は、今度はハンドルを左へとゆっくりと回してみた。
ハンドルを少しずつ左に切るに連れて過去と未来の光景は双方とも次第に明るくなっていくのであった。
やはり過去と未来は連動している。しかし過去に展開している出来事自体は何も変わらないのだ。
この明暗の変化は心の働きを表すのではないだろうか。
同じ出来事であっても、心が明るくなれば、その経験は明るい経験なのだ。
複数の人々が同じ事柄を経験したとしても、その共有された経験がどんな意味を持つかは人によって異なる。
その違いを決定している一番大きな要素がその人の心の働きなのかも知れない。
個人の思い出も同じなのだろう。

私はゆっくりとさらに左へとハンドルを回し続けた。
ドア越しに見える過去と未来の光景はさらに明るさを増し、光り輝いていった。
どんな経験であれ、心が明るくなればそれは幸いに通じる意味合いを持ち始めるのである。
自分の過去や未来がどうであるべきだなどとあまりこだわる必要も無いのかも知れない。
私はさらにハンドルを左に回し続けた。すると、光の度合いが強まっていく中、あの全く開かなかった6番目のドアが突如開いたのである。
そしてドアの向こう側からは、青い海と青い空と白い雲に包まれた地球の光景が現れたのだ。
地球の表面には、ジェット気流のような光が流れていた。
金色の光、白銀色の光、エメラルドグリーンの光、バラ色の光、4つの輝きを持つ光が渦を巻きながら、地球の上を回流し続けているのであった。
私にはそれらの光の意味するところがよく分かった。
これらの光は夢を追い求め続ける人類の願望によって創り出されている幻影なのだ。
人というものがいる限りこれらの光は地球の上を回流しつづけるのだ。
金色の光は富貴と財を表す。
白銀の光は権力、権威、名声、地位を表す。
エメラルドグリーンの光は、健康、長寿、家庭と子孫繁栄を表す。
バラ色の光は、技芸、才能、知識、美と官能を表す。
これらはすべて人の心の作り出す幻想であるということにおいて共通している。
お金の本質は世の中における価値の約束事。それは誰のものでもなく天下を回っているだけなのである。
名誉も地位も権力も世の中における約束事。それは他人が作る評価であり、何の実体も持っていないのだ。
人が肉体を持つこと自体、すでに逃げることの出来ない苦痛を背負っていることを意味する。生まれて生きて年老いて死んでいくという点いおいて誰でも同じなのである。健康と繁栄は一時の幻影である。
美や才能や技術は他人の欲望や願望を満足させる能力のことであり、そこに何らかの意味があるわけでもない。欲望自体がすでに幻影だから。それを満足したと思った瞬間に過去の思い出となっていくのだ。
しかしながら、人々はこれらを求めてやまない。これらを求めることが生きがいなのである。これらを求めてある人々は必要以上に働き、ある人々は金儲けに夢中になり、ある人々は戦争まで起こして殺し合いに夢中になっている。ある人々は犯罪を犯し、ある人々は信仰によってこれらが得られるのだと主張する。この光の幻影こそが人類の歴史を動かし続ける原動力なのである。
私はそんなことを考えながら、地球上の光の回流を眺めていると、ある奇妙なことに気がついたのだった。
ほとんどの人々はなぜかこれらの光を恐怖し、嫌悪しているかのように見えたのだ。小動物に火を近づけると飛び跳ねて逃げていくように、人々はこれらの光が自分に近づいてくると飛び跳ねて逃げていくのである。
なぜなのだろう。求めているはずのものは、ふんだんに尽きることなく地球上を流れているのに。
わずかな一部の人たちだけが、これらの光を恐れることもなく享受していた。
このわずかな人々の中には光の色を選別する人たちもいた。名誉は求めるが金は求めない、健康と繁殖は求めるが才能は求めない、才能と知識は求めるが、名誉は求めない、様々であった。
彼らは光の回流の中からスプーン一杯の小さな光を受け取るだけで充分であった。
その人は自分の得たスプーン一杯の幸福を人々に見せるだけで、人々はその人の回りに群がり、その人に様々な奉仕をするのであった。こうしてその人はスプーン一杯の光を雪だるまのようにいくらでも拡大し続けることが出来たのである。

これでは、世界が満たされた人々と満たされない人々に二極化していくのは当然のことではないか。
この光の幻影は福徳を表しているのだ。
福徳は功徳を積んだ人だけがそれを享受することが出来る。
功徳を積むとは自制をすることと、他に与えることを意味する。
きっと、ほとんどの人々はこの功徳を積むということが大嫌いなんだ。だから光が近づいてくると逃げていくのだ。
この光の回流は幸福の姿はしていない。
世の中の最も淋しいところ、誰からも見向きもされないところ、苦労と忍耐ばかりを要請されるところ、孤独と苦悩以外なにも無い世界、絶望だけがあるところ、この光はそんなところに最も強く現れているのだ。
だからみんな逃げていくんだ。
功徳を積むことを恐れる必要なんかなにも無い。それを行えば未来に幸福だけが待っているのだから。幸福の本質は幻影なるが故に無限にあるのだ。

幸福という幻影は真理ではない。だからそれを得ても安らぎは得られない。
真理とは安らぎである。
幸福は誰もがそれを求めるが、真理はいつの時代であっても誰もそれを求めようとはしない。最も淋しいところにあるのだ。それ故にそこには最高の功徳が潜んでいる。
真理と幸福との接点はこんなところにあるのかも知れない。

幸福の享受というものを、一部の人たちだけでなく、世界に満たしたいと思うならば、多くの人々が自らの運命のハンドルを左に切らなければならない。

運命のハンドルを左に切れ。
それは世の中の流れに逆らっていく道。
多くの人たちは世の中の流れに従い、ハンドルを右に切るのだ。
だから光は得られない。

運命のハンドルを左に切れ。
それは自分の得たものを捨てていく道。
多くの人たちは自分がさらに何かを得ようとして、ハンドルを右に切るのだ。
だから光は得られない。

運命のハンドルを左に切れ。
それは怒りや恨みをを捨てていく道。
多くの人たちは怒りや恨みを成就しようとして、ハンドルを右に切るのだ。
だから光は得られない。

運命のハンドルを左に切れ。
それは世界に与え続ける道。
多くの人たちは世界から何かを奪うことばかりを考え、ハンドルを右に切るのだ。
だから光は得られない。

運命のハンドルを左に切れ。
それは自己のために生きる道。
多くの人たちは他人が作り出した価値のために生きようとして、ハンドルを右に切るのだ。
だから光は得られない。

運命のハンドルを左に切れ。
それは自己を制御していく道。
多くの人たちは欲望の対象を楽しむことばかりを考え、ハンドルを右に切るのだ。
だから光は得られない。

運命のハンドルを左に切れ。
それは真理を求める道。
多くの人たちは真理など夢にも求めない人生を送り、ハンドルを右に切るのだ。
だから光は得られない。

左巻きは日本語では、馬鹿、阿呆、狂人を意味する。
馬鹿だけが、真実を見るのである。
阿呆だけが、価値あることを成し遂げるのである。
世界を変えることは狂人だけに与えられた特権である。

了 2018/02/11




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